logo4
logo1

 TOP Page


 ★ニュー ス『生きいき憲法』




学習講演会の記録

「憲法9条と日米安保」


日程:2010年6月14(月)18:30〜20:30
会場:豊島区民センター
参加者:36人
講師:小沢隆一氏(東京慈恵医大教授・九条の会事務局)

1.はじめに

 「安保条約に手をつけずにアメリカに基地撤去、国外移設といっても無理です。私は、新しい政権には、日米安保を再考する、勇気ある決断を期待した い」(宮城実篤・嘉手納町長)。まさに、普天間基地問題のおおもとには安保条約があり、安保を直視せざるを得ない状況を向かえている。憲法と安保の相克の 歴史、現状をとらえ、その上で未来を展望することが大事だと思う。

2.日米安保の原点

 9条は、戦争の結果、アジアの平和を保障するために誕生した。日本を再び侵略国にしないための保障が9条であり、日本国民はその9条を支持した。しか し、苦難から生まれた9条を破壊し始めたのが朝鮮戦争(1950〜53年)。@米軍を日本本土に置く必要はない、沖縄だけで十分、日本は中立国であるべき だから安保条約は不要(マッカーサー)、A駐留継続の保障なき早期講和は反対(米軍部)、B平和・全面講和を求める(国内世論)、C占領終結の願い(沖縄 県民)。このいろいろな思いを押しのけて勃発した朝鮮戦争が、サンフランシスコ講和条約+安保条約(51年)を生み出した。吉田首相がこっそりと1人で調 印したのが安保条約。
 その朝鮮戦争は、アメリカから武器を供与されていなかった南朝鮮は北朝鮮に一気に攻められ、米軍が上陸して中国国境まで反撃して平壌空爆、中国義勇軍が 38度線まで押し返した、その中で1000万人もの離散家族が発生。この厳しい戦争の結果、南北朝鮮の国民の中には「絶対に繰り返してはいけない」が受け 継がれている。しかし、朝鮮戦争で「特需」を受け、後方基地としての自覚を欠如させるなど「絶対に繰り返してはいけない」をどこまで理解しているか疑問な のが日本。したがって、騙し合い、裏切り合い、憎みあって戦った国々が交渉のテーブルにつく、6カ国協議と日朝国交正常化交渉を再開させ、朝鮮戦争を休戦 から終戦させることの意義は絶大なものがある。

3.日米安保のその後の展開

 1950年代に9条改憲の危機を向かえたが、改憲反対および沖縄・本土での基地反対を展開して危機を乗り越えた。この運動は核兵器禁止、安保反対へとつ ながり、この力が60年の安保改訂を、共同防衛(5条)は日本国内に限定、核兵器持ち込みは「密約」の形でしか取り交わすことができない「いびつな軍事同 盟」にした。
 しかし、70年代に入り、ベトナム戦争終結と同盟国への軍事分担要求拡大戦略から、日米安保は、条約の枠を超えて、本格的な軍事同盟として追求されてき た。78年の「日米防衛協力の指針」と「思いやり予算」、それ以降の1000海里シーレーン防衛、「日本以外の極東における事態」での日米共同作戦、90 年代に入ると湾岸戦争での自衛隊海外派兵要求増大、日本が米軍を後方支援する「新ガイドライン」とこれを受けた周辺事態法制定、21世紀に入り有事立法、 テロ特措法、イラク特措法と続いた。これらは海外での日米共同作戦態勢の構築を目指したもので、そこから50年代の明文改憲策動が「復活」し、集団的自衛 権の行使を焦点としている。

4.「九条の会の6年間」の意義

 明文改憲の動きが強まる中、2004年に九条の会のアピールが発表され、9条をまもる運動が全国規模で展開されてきた。
 特徴は、この運動を通して国民の政治意識が高くなってきたこと。96年に小選挙区並立制の下で初めての選挙が行われたが、その時の投票率は20歳代から 70歳以上のあらゆる年齢層を通じて投票率は過去最低。投票したい候補者がいない、がその理由。その後も低い投票率が続いたが05年総選挙で投票率が回復 し、09年総選挙でさらに向上した。これは政治に関心を寄せる人々が増大したことを示している。また、NHKが5年ごとに実施している「日本人の意識」調 査によると、選挙並びにデモや請願行動が国の政治に影響を及ぼしていると考える人は03年まで減少傾向が続いたが、08年は過去35年間で初めて増えた。 政党の支持なし層も過去35年間で初めて減少し、08年は03年と比較して11ポイントも減少した。こうして、国民の政治意識が高くなってきたことが各種 調査の結果として出ている。

5.9条を軸に軍事同盟のない世界へ

 07年5月に成立した改憲手続法がこの5月18日に施行されたが、この3年間明文改憲の動きを押しとどめてきた。しかし今後、憲法審査会始動の策動、参 院選後の改憲手続法「執行」のための法整備、継続審議となった9条解釈改憲を容易にする内閣法制局長の国会出席禁止の国会法「改正」案などに厳重な注意が 要する。
 最後に、9条を賢治することこそ未来がひらかれる。「9条と安保」の問題を九条の会としても検討して欲しい。アフガン・イラクにみるようにアメリカの軍 事戦略は破綻し、インド洋とイラクに出動した自衛隊の「戦闘参加」を9条が阻止し、名古屋高裁が平和的生存権の意義を強調してイラクでの自衛隊の活動を違 憲と判断、核兵器をめぐる新たな変化もあり、各国で米軍基地は撤去され、軍事同盟体制は時代遅れになってきている。また改憲と構造改革路線に対する国民の 反撃も始まった。以上にみる情勢の変化は、軍事同盟のない世界を展望し、9条(平和的生存権)と25条(生存権)を車の両輪とし、憲法を生かす政治の実現 を求める時である。

Copyright © 2008 九条の会東京連絡会 All rights reserved.